地球儀に、レンズを11枚重ねてみた
「わからん!!」
所長は怒鳴りながら持っていた地球儀を放り投げてしまった。
Dr.「どうしたんですか?」
所「最近地政学とやらを学んでいるんだが、この地球儀じゃさっぱり頭に入らん。Dr.よこぼ、地政学を学ぶための最強のレンズを作ってくれ」
こうして私のEARTH LENSプロジェクトは始まった。
先に、いまの姿を置いておく。何の話をするのかは、これを見るのが早い。
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所長の言う「レンズ」とは何なのか
まず言葉の意味を考えねばならない。
顕微鏡や望遠鏡のレンズではないだろう。地球儀が頭に入らないと言っていたのだから、欲しいのは倍率ではない。
地図帳を思い出してみる。国境の地図、気候の地図、物流の地図。だいたい全部載っている。しかしページをめくった瞬間、さっき見たものは消える。
所長が「頭に入らん」と言ったのは、おそらくここだ。国の形と、凍る海と、船の通り道を、それぞれ別のページで見せられても繋がらない。地政学というのは繋がりの話らしいので、これでは困る。
だとすれば作るものは決まる。同じ地球の上に情報の層を重ね、消さずに並べられる装置。それを当ラボではレンズと呼ぶことにした。
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実験開始:地球を回して、層を重ねる
試作を作った。CesiumJSという3D地球儀の道具が土台である。

上が最初の姿だ。レンズはまだ3枚しかない。海底ケーブル、狭窄部、そして重要鉱物——大陸から生えているマゼンタの棒がそれである。
- 地球を指で回してズームできる
- 層をON/OFFで重ねられる
- 地点を押すと、その周り500kmにあるものを全レンズ横断で拾う(
WHY HERE?) - すべてのデータに、出典・ライセンス・確度・実データか仮データかを持たせる
最後の項目が、後々この装置の性格を決めることになる。これは「世界の真実」を教える地図ではなく、「このデータではこう見える」を比べる装置である。その立場を、最初にデータの形として固めておいた。
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動いた。しかし地球はほぼ空だった
装置の骨格は良好である。層を足す仕組みも、出典を持たせる作りも、きちんと分かれている。
しかしデータの数を数えたところ、事象が判明した。
| レンズ | 件数 |
| --- | --- |
| 物理地形 | 11 |
| 港 | 15 |
| ケーブル | 8 |
| 狭窄部 | 6 |
| 物流 | 6 |
| 鉱物 | 5 |
| 合計 | 51 |
地球全体で51個。 しかも全部、手で書いた仮の値である。
試しにオーストラリア北西の海を押してみたところ、7つのレンズすべてが「該当なし」を返した。地球の大半がそうなる。
装置は完成していた。燃料が入っていなかった。
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出典を増やさずにデータを入れる
ここで当ラボの制約が効いてくる。ライセンスの分からないデータを持ってこない。これは最初に決めてある。
そこでNatural Earthを使うことにした。地図製作用に整備された公開データで、誰でも自由に使える。しかも地球の陰影表現に既に採用していたので、出典が1つも増えない。
国境が242か国分の実データに変わった。地政学の装置なのに国境のレンズが無い、という状態がここでようやく解消された。
このとき、入れる前に厄介な事象を1つ見つけた。地点が国の中にあるかどうかを、その国の中心までの距離で測る作りになっていた。このまま国境データを入れると、カリーニングラードから見たロシアが2000km先ということになる。動きはする。しかし静かに間違った答えを返し続ける。
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気候のレンズが1枚も無かった
所長の目的は地政学である。私は改めて、この装置で何が言えるようになるべきかを考えた。
たとえば「ロシアはなぜ不凍港を求めるのか」。この形の気づきは、必ず地理が何かを禁止していて、だから人がこう動くという構造をしている。
ところが当時の地球には、禁止するものが無かった。地形のレンズはあったが、あれは山を見せるだけで何も禁止しない。凍る、乾く、越えられない、その季節は通れない——そういう層が1枚も無かったのである。
装置自身の説明書には、地球の層を「地形・海・気候」と書いてあった。気候が空だった。 いちばん上流に穴が空いたまま、下流だけ賑やかにしていたことになる。
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凍る海を入れたら、ロシアの話ができた
海氷のデータを公開している機関がある。NSIDCという。これを入れ、同時に港も仮の15個から実データ1,081個へ差し替えた。
理由がある。氷だけ入れても比べる相手がいない。当時の仮データ15港には、ロシアの港が1つも入っていなかったのである。
両方が揃った画面がこれだ。北極点の上から見下ろしている。

北極海が淡い水色で埋まっている。海氷である。その外側を黄色い線が縁取っている。
港の点は、左のスカンジナビアからバルト海にかけてびっしり並んでいる。ところがロシアの北岸に沿っては、ぽつり、ぽつりとしかない。青で囲んだ3つがそれで、どれも氷の内側か、縁のすぐそばにある。
ロシアの海岸線は世界有数の長さがある。にもかかわらず、そのほとんどが氷の側にある。
説明文は1行も出していない。 重ねただけである。
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もう一つの入口:ミッションとステッカー
ここまでの話には前提がある。どのレンズを重ねればいいか、自分で分かっていることだ。
初めて来た人には分からない。11枚のスイッチを前にして、どれを押せば何が起きるのか手がかりがない。そこでミッションを用意した。「狭窄部を探せ」のような課題が出て、地球を回して答えの地点を押す。詰まったらヒントを使う。ヒントは答えを教えるのではなく、レンズを1枚開ける。 見る道具が増えて、自分で見つける形にした。
最初のミッション完了画面がこれである。

「ランク A」。使用ヒント 1/3、回答回数 2。
……それだけだった。画面を閉じたら消える。 何を見つけたのか、どこへ行ったのかは、どこにも残らない。
ここは正直に言うと、私の趣味が出た部分である。ミッション・パスポートを作った。

見開きの紙、中央の綴じ目、外周の革のカバー。地域ごとのタブ。取得したステッカーは、旅行者が鞄に貼るあれと同じ見た目にした。ヒマラヤなら雪山とタルチョ、「THE ROOF OF THE WORLD」の文字。ランクは別枠の数字をやめて、ステッカーの角に押されたスタンプにした。
ただ、作ってみて分かったのは、空欄のほうが効くということだった。
まだ取っていない枠は、形だけが見えている。丸いもの、盾のかたちのもの、四角いもの。中身は分からないが、何かが入る場所であることだけは分かる。 画面にはDESTINATION UNKNOWNとだけ出る。
これは偶然だが、装置の性格と同じことをしていた。配置だけ見せて、答えは言わない。 レンズがそうであるように、パスポートの空欄も、行き先を教えずに「そこに何かある」とだけ言っている。
いまのところ8か所。私はまだ1枚しか貼れていない。
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スマホでは、地球が画面の4割しか見えていなかった
ここまでは自分の手元で確かめていた。所長に渡してみたところ、別の事象が発生した。
スマホで開いてみると、地球が見えているのは画面の4割だった。左右のパネルが横幅を覆い切っていたのである。横向きにすると3割に落ちた。
さらに所長から「PCでも同じ不満があった。視線があっちゃこっちゃいく」との指摘。数えてみたら、画面に固定されている表示が6か所あった。地球は真ん中にある。何か1つ知るたびに、目が中央と端を往復する構造になっていた。
ここからの作り直しは、正直に言えば3回続けて外した。
1回目は寸法の問題だと思い、地球を持ち上げる案を出して、「それはUIデザインの問題」と所長に却下された。
2回目は、情報を押した地点に貼り付ける設計まで進んだ。しかし同じカードに見出しを5つ載せてしまった。「観測レポート」「詳細」「選択地点」「地点横断Lensスキャン」「なぜここ?」——全部同じものを指している。正しい修正を1つずつ積んだ結果、そのカードが一言で何なのかを誰も持っていなかった。
3回目は、常に使うものと、たまにしか使わないものを同じ引き出しに入れた。これで3回目の同じ失敗だったので、判断の物差しとして装置の説明書に書き足した。
地球を見ながら使うものは、地球を隠してはいけない。たまに開くものだけが、地球を覆ってよい。
いま画面の見出しはSCANの1語だけである。
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現在:レンズ11枚、そして大陸が動く
現在のレンズは11枚。山脈・高原、海氷、河川、乾燥帯、鉱物、港、物流、ケーブル、狭窄部、国境、そして排他的経済水域。
山脈は当初、手描きの楕円が11個あるだけだった。実際の形とはかなりずれていた。これを実データへ差し替えたので、ヒマラヤもアンデスもチベット高原も、いまは本当の輪郭で出る。
排他的経済水域は、入れてみて驚いたレンズだ。海にも国境がある。 太平洋の島国が、国土からは想像できない広さの海を持っているのが見える。
そして最後に、特殊なレンズを1枚入れた。古代の地球である。

上は2億年前である。茶色いのが当時の陸で、その上に浮いている黄色い点は今日の港だ。マラッカ海峡のラベルも出ている。当然そんなものは当時ない。画面の下には「現代Lensの座標を重ねています」と出してある。
現在の場所が、当時どこにあったかが見える。これが見たかった。
そして年代を送ると、動く。
最後はパンゲアである。大西洋が無く、ヨーロッパと北アメリカがくっついている。復元にはZahirovic2022という公開されている研究モデルを使っている。
以前ここには、それらしく生成しただけの塊が表示されていた。画面にも「科学的な復元ではありません」と自分で断っていた。いまは本物のモデルが入っている。ただし復元はモデルであって観測ではないので、どのモデルの何年前かを画面から読めるようにしてある。
所長はこれを「古代のレンズを通して地球を見ている」と表現した。良い言い方だと思う。いまの配置は永久ではない——それが分かると、狭窄部も国境も氷も、全部たまたま今こうなっているだけに見えてくる。何もできないレンズなのに、他の全レンズの見え方を変えてしまう。
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まだ気に食わないところがある
所長からは既に次の指摘が入っている。カードの閉じ方、外部への案内の出し方、ミッション画面の情報量。どれも直している最中である。
ただ、装置の性格ははっきりしてきた。この装置は答えを教えない。 地点を押しても「ここは戦略的に重要です」とは出ない。何が重なっているかを出すだけで、「なぜ」は読んだ人の側に残る。
所長の言葉を借りれば、学習の種になるかどうかが判断基準である。網羅していなくても問いが残れば成立するし、網羅していても「へえ」で終わるなら価値がない。
次はレンズを増やす。都市の分布、鉄道、地震。特に都市は、乾燥帯と河川が揃った今なら「なぜナイル沿いにだけ人がいるのか」が見えるはずだ。制約を先に入れ、人の動きを後に入れる——この順番でないと種にならない、というのが今回いちばんの収穫だった。
引き続き研究を継続する。(Dr.よこぼ)
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